祖父がシベリア抑留体験を述懐したテープ part 15(O)

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相撲が強いマンポさんの話から始まります。朝鮮の兵隊さんが彼と相撲を取るという話が出てきます。前後の話がわからないのですが、朝鮮(や台湾)の方も、やはりシベリアに抑留されていたということでしょうね。
また、調べてみると女性も抑留されていたそうです。
自分の不明を恥じました。

ナホトカで海藻を吐いた人がいた話、聴取の話、part 10でも出てきましたね。
似た原稿を重複して収録したのでしょうか。また聞いてみたらわかるかもしれません。

満州のノウキンコンスというのはどこのことでしょうか……
ここでいう迎春花(インチュンホワ)というのは、紫色の翁草(オキナグサ)のことです。
地名はわかりませんが、自費出版された彼の画集にも、岩と紫色のオキナグサが描かれた絵があります。

このテープではかなり歌っていますね。若いころの祖父は、実は歌が上手かったのかもしれません。
ヤベ兵長も祖父も、辛く寂しい日々を歌ってやり過ごしたのですね。

シベリア物語の話から、バイカル湖から7~8時間離れた所に収容所があったとわかります。とはいえ、これまでも書かれていた通り、ウランウデの収容所ですね。

映写機を受け取りに、近所の中学校に行った話。アコーディオンを弾きながら踊っている男女の学生の話。
プラトークとは、羊毛のスツール(襟巻)のことだそうです。
男の子と女の子が、民族衣装を着て、アコーディオンにあわせて踊る、という世界は実際にあったんだろうか?
一時期の北朝鮮のように、特権階級や、プロパガンダのための映像を取っていたのかもしれません。
捕虜やシベリアの生活とは対照的で、実在を疑うような、あたかも夢のような風景です。

- シベリア抑留シリーズの説明 -
祖父が、第二次世界大戦後、ソビエト連邦にシベリア抑留された体験をテープに述懐したものです。録音は1979年だそうです。時期は若干前後していると思います。
テープからmp3に吸い出しておいたのですが、そのままにしておいても消えていくだけなので、何も考えずにYoutubeにそのままアップロードします。
よろしければご覧になってください。そして、チャンネル登録をお願い致します。
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